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ウイルス汚染による肝炎は、 血液製剤の「副作用」とは異なるのか、どうか。
昨年末の毎日新聞の社説が、以下のような記事を載せていました。 僕は、この記事が毎日新聞の社説として掲載されたことに、驚き、そして危なっかしさを感じました。 C型肝炎救済 薬害発生の検証が欠かせないカッコ内および太字は当ブログが引用の際に記したものです。 この記事は、「全ての被害に対して一律に、政府は責任を認めて謝罪するべきだ」という主張であるように読めます。すくなくとも、最も自然な解釈の仕方としては、そう読むのが妥当な文章だと僕は理解しました。 僕は、これから述べる理由で、この毎日新聞社説に反論します。また、毎日新聞が全国紙としての責任を負う報道機関であるにも関わらず、医療現場及び薬事行政への配慮を欠き、読者に不用意な誤信を与える記事を社説として掲載したことを批判します。(※この記事が社説として掲載されている以上、僕の批判は毎日新聞社を相手とするものです。) 今回の薬害肝炎の問題で薬事行政を振り返るならば、その最も大切な点は「当時の医学でこの薬害を予測・予防することができたかどうか」という点です。もしも予防できたならば被害が生じたのは「行政の責任」ですが、予防できなかったならばそれは「医療の限界」です。 この点が、この社説からは完全に抜け落ちています。 公正な議論のために書くと、同社説が「すり替え」と述べるのには認めるべき点もあります。医学用語としての定義に則るならば、血液製剤がウイルスに汚染されていたことによって生じた薬害肝炎は「薬剤の副作用」ではないからです。 この点、僕がこれまで書いた薬害肝炎についての記事でも言葉の誤用がありました。この場を借りてお詫び申し上げます。 しかし、これは言葉の定義の問題であり、議論の本質的な部分ではありません。同社説が取り上げた「政府の言い分」は、その言葉を別の言葉で置き換えても成立するからです。「同じ土俵で論じる」ことには、十分な正当性があります。 (全員一律救済の法案が政府提案とならなかった理由の一つは)薬事行政にかかわることだ。薬には必ず未知の危険がある。未知の危険で被害が出るたびに責任を取らされていたら国の薬事行政が成り立たない…このように言い換えた政府の主張は十分に説得力を持つものですが、同社説はそれに有効な反論を述べられていません。 もしもこの社説を執筆した記者が、「薬害肝炎は副作用ではない」という語義的な議論から「政府は全ての被害に責任を認めるべきだ」という結論を導いたのだとしたら、それは安直に過ぎました。全国紙として世論形成に多大な影響力を持つ毎日新聞社に対して、医療分野についてのより注意深い考察を、僕は強く求めます。 政府に対して「全ての被害に対する責任」を求めるならば、この論点に対して「全ての被害は予防することが可能だった」という反論を行わなければなりません。それが認められないならば、政府の責任範囲は被害の一部にとどまることになります。 僕は、国民がこの問題を正しく判断できる社会を望みます。そして、そのために国民を正しく啓発する報道を求めます。
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◆◆◆ 特集記事≪薬害肝炎≫ ◆◆◆
本ブログ「白鳥一声」は、ただいま≪薬害肝炎問題≫を重点的に取り上げています。以下は、この問題に関連する本ブログのエントリーをまとめたものです。 (※なお、このエントリーは随時更新されます。また特集期間の間は、このエントリーは常に新着記事リストの最上部に表示されます) ...続きを見る |
白鳥一声 2008/01/13 16:33 |
| 内 容 | ニックネーム/日時 |
|---|---|
勇気と説得力のある正論だと感服いたしました。 |
罵愚 2008/01/05 04:54 |
罵愚さん、お久しぶりです。コメントありがとうございます。 |
birds-eye 2008/01/06 00:38 |
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