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zoom RSS なぜ刑罰を科すのか 〜懲罰と更正の狭間で

<<   作成日時 : 2008/01/13 18:41   >>

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殺人犯が刑務所で服役します。
何不自由ない至れり尽くせりの更正教育を受けて、
出所後二度と再犯を犯さないのと、
苦痛に満ちた懲役刑を終えて再犯を犯すのと。
どちらがよいですか?

 朝日新聞が次のような記事を報じていました。
 僕は行政のこのような動きを歓迎するとともに、それを記事として取り上げた朝日新聞を評価したいと思います。
  『刑務所職業訓練、「ガテン系」脱却 エステや設計も』
   朝日新聞 2007.01.05
 (Web魚拓

 記事の内容は、従来は『懲役刑』の名の下に体力的にきつい職業が主体だった刑務所の職業訓練に、出所後の就職に役立ち再犯防止の効果が期待できる職種が加えられたという内容です。

◆ ◆ ◆

 犯罪者に刑罰を科す理由は、「懲罰」と「更正」を期するためだ。このような考え方を、『相対的応報刑論』と呼ぶそうです。
 この考え方は正しいのでしょうか? 正しいのだとすれば、「懲罰」と「更正」の比重は、どちらがどのくらい重たいのでしょうか?
 そんなことを、このニュースに触れて考えました。

 これは、死刑存廃の議論にもつながるものです。人を何人も殺したからといって、その犯人に「死刑」を科すのはどうしてか。安易な感情論ではなく、安全で暮らしやすい社会を実現するために考えるなら、これは避けては通れない論点です。

 いわば死刑とは、「懲罰」対「更正」が100対0の刑罰です。(※「再犯予防」という観点があるため厳密には違いますが、単純化のためにそう書きます)
 しかし、「虐待を受けて育ったなど、犯罪者にも犯罪を犯すに至った事情がある。この不完全な社会で、ババ抜きのババを押しつけられたような彼らを、裁く資格は僕たちにはない」という観点に立つならば、「懲罰」対「更正」が0対100のような刑罰(というより更正支援)もあり得ます。

 どちらがよいのか、いまの僕には答えが出せませんでした。
 そのことを記事として書き残します。

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コメント(8件)

内 容 ニックネーム/日時
私も揺れ動きます。
でも、こう考えています。
死刑に値する犯罪を犯したと判断するなら、裁判所は死刑の判決。
ただし、死刑を執行するのは反対。
更正の機会を与え、更正できるならば更正させてあげることが大切です。
判決は、犯罪者に自分が行った事実を認識させるための手段。刑務所は、人として生きていける手伝いをする場所。裁判中、犯人は悔い改める機会は殆どありません。誰もが、刑罰を軽くしたいと思うのが心情です。
死刑を執行したがる法務大臣がいますが、心が無いのでしょう。
死刑判決は有用。死刑執行は無用。と私は考えています。
一般人
2008/01/14 11:54
 一般人さん、はじめまして。コメントありがとうございます。
 なるほど… と考えてしまいました。死刑判決を儀式的に扱うという事かと思いますが、おもしろいご意見だと思います。
 しかし、ちょっとヤボな指摘ではありますが、執行されないと分かっている死刑が「懲罰」になるのか… 難しいですね(^^;) 年に1回ほど架空の事件を政府公報ででっち上げて、「執行されてる死刑もあるんだぞ」という事にしておく、とか? ぶっ飛んでますが、ありかもしれないと思いました。

 死刑問題は、すでにご存じかもとは思いますが、当方マイリンクにもある村野瀬さんのブログが大変充実しています。イチオシさせていただきます。
 当方ブログも、これからもご意見ご指摘、どうかよろしくお願いいたします。
birds-eye
2008/01/15 00:03
どの程度の犯罪にどの程度の刑罰が適当かというのはそんなに明確の基準があるわけじゃないというのが現実。

人を何人も殺しても懲役7年だったりしてもそれがその時代の法からくるものなら従うしかないというもの。
逆に物を盗んだだけでも死刑というのもそれが法なら従うことになります。

刑罰というものが何を目的とするのかをよく考えた上で、なるべく多くの人が納得できる落しどころを、決めるのが刑罰と考えて

います。

刑罰は、あやふやで基準がありそうに見えてじつは無いと考えます。

すべての人が納得できる被害に見合う適量な刑罰は存在しないというのが私の思い至ったところです。

まあ、あの程度で済むなら危ない橋を渡ろうと思う人が少ししかいない程度の厳しさが必要です。
被害者が気持ちを収めることが出来る程度の厳しさがなくてはいけません。
やまゆ
2008/01/15 01:24
刑罰に懲罰と更正がある割合であることと規定することが、必ずしも犯罪防止に役にたつようには思えません。

懲罰部分は応報という考えは多くの人の納得するところです。ですが、更正はその人間が刑期を終えて新たな人生を送れる様にす

るものと解釈できます。単に刑期中のみ更正のための訓練をしたというだけでは済まされないものなのではないでしょうか?ある人間は刑期以上の期間を更正のための面倒を見る必要があり。更正に関わる内容、再犯に走らないように補助する心理、経済、習慣、環境面等多岐にわたる安全網の様な仕組みを、社会全体の機構に組む必要があるのではないかと思います。その網は非犯罪

人にも及ぶものであるべきでしょう。

そう思うので私は、絶対的応報刑論を主張します。

更正は、刑罰の一部と考えるのではなく、犯罪を防止すし安全な社会を作るための社会機構として刑罰とは別に考えることに賛成します。
やまゆ
2008/01/15 01:26
完全な無期刑があるなら死刑は廃止してもいいと思います。
しかし、更正の可能性の全く無い人間も居ると思います。そういう狂人を刑務所で養い続けることに無意味さを感じないわけでは

ありません。完全な無期刑にはそういうケースも出てきます。そうしたら死刑という選択も可能な方がいいのかもしれません。

というのが私の考えです。
やまゆ
2008/01/15 01:27
 やまゆさん、コメントありがとうございます。共感したり、ハッとしたりする部分がたくさんありました。「基準がありそうでない」「危ない橋を…」「被害者が気持ち…」「刑期以上の期間を更正のため…」などなど。

 ちょっと興味かられて、ぜひご意見伺いたいと思ったことがあります。もし差し支えなければ、この記事中の後半部分
 「虐待を受けて育ったなど、…」
のような考え方は、彼らへ懲罰が与えられることについてどう思われますでしょうか?
birds-eye
2008/01/15 18:26
>記事中の後半部分
 「虐待を受けて育ったなど、…」

場所がわかりません。どこをみればいいのかもう少し詳しくお願いします。そして今夜は時間がとれません。後日にて。
やまゆ
2008/01/15 19:15
>「虐待を受けて育ったなど、犯罪者にも犯罪を犯すに至った事情がある。この不完全な社会で、ババ抜きのババを押しつけられたような彼らを、裁く資格は僕たちにはない」
です。最後から2番目の段落です。

どうかごゆっくり、よろしくお願いします。
birds-eye
2008/01/15 21:11

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