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甘い言葉でお茶を濁す政治家は、 甘い言葉を喜ぶ国民の罪かもしれません。
自民党が参院選で公約した「今年度中に全ての年金記録を照合」という目標が達成困難なようです。政治家の言葉の軽さを各メディアが報じています。 『【主張】年金照合公約 謝罪でしっかりけじめを』 イザ!配信(産経新聞) 2007.12.13 公約を翻した政治家の「迷言」の数々が天声人語に取り上げられていました。 朝日新聞 天声人語 2007.12.13 (Web魚拓) 「そういう気持ちで取り組んでいく。気持ち。分かるだろう」 「選挙中なので簡素化して言ってしまった」 「(選挙のとき)出来ないけれどやってみますとは言えない」 民主主義をないがしろにし、有権者を軽視する発言の数々には大変な憤りを感じますが、その怒りはこのブログでは語らないことにします。感情を書き連ねても何ら有益な結果を生み出さないからです。 一言だけ、「野党による問責決議って、こういう時のためにあるのと違うの?」とつぶやいて終わります。 先の参院選において、年金問題の非難の中で国民の支持を得るために、政治家はどのような公約を掲げれば良かったのでしょうか? 安請け合いの公約が問題になっている以上、それを考えたいと思いました。 僕の考えたことを書きます。三点あります。 まず、絶対に厳守する最低ラインの目標を打ち出すべきだったと考えます。 年金問題は完全に政府の落ち度であり、そしてとても重大な問題でした。守れなかったときは政治生命を終える覚悟で、現実的な目標を掲げ、それを土台に選挙戦を戦うべきだったと思います。 しかし、それだけでは無難な目標になりかねません。誰でもできる程度のことを訴えたのでは選挙には勝てないでしょう。 そこで僕は、「最低ライン」を設定した上で、その一段上の、全力を尽くせば8割くらいの見通しで達成できる程度の公約を掲げるべきだったと思います。 これは努力目標ではありません。守れなかった場合、やはり公約を守れなかったものとして、謝罪と引責をすべきです。ただ、辞任や引退とまではいかず、一段低い責任の取り方(例えば謝罪会見や給与の返上など?)で良いということです。 そして、それ以上の目標が設定できない理由を国民の前に明示することです。 「×××の事情があるから完全解決は難しい」ということは、参院選の段階で表明しておくべきでした。 つまり、政治家が掲げるべきだった公約は、次のような文言が望ましかったと僕は思います。 「私は政治家として、年金問題について、○○○を○月までに行うことを公約する。それ以上のことは、大変申し訳ないが、××の事情につき非常に困難であるから約束できない。全力は尽くすが、ご容赦いただきたい。もし万が一、▲▲▲すら実現できないことがあれば、それがいかなる事情によるものであっても、私は政治家として引退して一段重い責任をとる」 高校生風にいうならば、 「僕は学生として全力を尽くし、次の定期テストで80点以上をとることを約束する。それ以上は、悪問奇問の類もあるから約束できない。万が一60点すら割り込むことがあれば、部活を辞めることで責任をとる」 という感じです。 僕は、これが良い公約だと考えました。なぜなら、政治家の決意が伝わり、選挙で訴える力が大きいと考えるからです。そして、政治家がこのような公約をもうけて当選することは、長い目で見ても国民のプラスになると考えるからです。 一段低い最低ラインがあることで、「公約を守れたか、守れなかったか」という議論が極端な開き直り/過重な責任追及に発展することを防ぎます。約束できないことを明示するのは、国民に考える材料を与えます。 いずれも健全な国政のために必要だと考えます。 ただ、政治家たちがこのような態度で選挙に臨まなかったのは、例えば「手堅い目標を設定する」「実現できない事を明示する」という行動が選挙に不利になると読んだからです。桝添厚労相が正直に語ったとおりです。 実際に、上のような公約を掲げた政治家と、「3月までに全ての年金記録を照合」という公約を掲げた政治家が選挙を戦ったとしたら、国民が選ぶのはどちらの政治家になるのでしょう? 上に述べた公約の形は、国民はこのようなものを求めるべきだという僕の考えを述べたものでもあります。 桝添大臣のような考え方が、国民を甘く見ているものだと、胸を張って批判できるような国民意識が育つことを望んでいます。
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