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「C型肝炎を全て予防するのは困難だった」 「『一律救済』という主張は、責任追及という観点からは妥当ではない」 「国の『責任』は慎重に検証されなければならない」 ◆ 薬害肝炎まとめ 目次 ◆ トップページ
(追記)
「国が、原告の『一律救済』を認めるかどうか?」 これが薬害肝炎訴訟の最終局面で問題となりました。 国が一律救済を認めようとしなかったのは、ただの責任逃れだったのか? それとも、それを拒否する妥当な理由があったのか? その点を考えてみたいと思います。 始めに確認します。 原告が主張した「一律救済」を認めるということは、国が最初の血液製剤から全ての期間にわたって責任を認めるということです。 以下の議論は、「政府が悪かったと認める、責任」についてです。さしあたり手を差し伸べる「支援」ではありません。 それも、「数千万円の補償に相当する重大な責任」についてです。 それが、「全ての被害者に、一律に」認められるべきか、という話です。 これらはいずれも原告団が最後までこだわったものです。 責任期間を区切ろうとする国に対して、原告側は「被害者の切り捨てだ」と主張して抵抗しました。そして、期間から漏れた被害者にも基金を設けて支援しようとした国の対応を「札束で頬をたたくようなやり方」とまで言って非難しました。(『国の提案の問題点』薬害肝炎訴訟リレーブログ) この原告側の主張が正しかったのであれば、国の対応はただの責任逃れでした。 しかし、もし「一律救済」の訴えが妥当でないのであれば、原告団は政府に過重な責任追及を行ってしまったということであり、政府はそれを認めてしまったということです。それは次回の記事で書くような重大な弊害を引き起こします。 もしこの責任追及が妥当でないのならば、たとえそれが被害者の方々を救うためであり、そして政府の対策遅れがこの決着を招いた原因なのだとしても、それがゆがみであることを僕たちは認める必要が生じます。 重ねて書きます。 「一律救済という決着が、≪妥当≫だったかどうか?」 この記事でいう≪妥当≫とは、「再発防止のため、政府の問題点を検証するうえで、妥当」という意味です。さしあたり被害者の方々を救うという観点は含めていません。 その上で、以下の記事を読んでいただければ幸いです。 僕は一律救済は妥当ではなかったと考えています。 例え国が最善をつくしても、血液製剤に由来するウイルス性肝炎を全て防ぐことはできなかったと考えています。 だから「全員一律に、被害の責任を認めて、数千万の補償」という決着は妥当でないと考えています。 むろん、国の責任が皆無であるなどとは思っていません。 しかし、「最善を尽くせば、ここまでの被害は防げたはずだ」というのは慎重に検討されなければならないのです。 でなければ、ただむやみに「ごめんなさい」と言わせるだけでは、被害の再発が防げないと考えます。 なぜそう考えるか、薬害肝炎訴訟の論点を整理して、その複雑さを振り返ってみたいと思います。 以下に述べることは、今後組織される第三者委員会での検証作業で明らかにされなければならないことでもあります。 ※なお、政府が最善を尽くさなかった「ずさんさ」についての言及は、あらためて別の記事で行います。この記事では触れませんのでご了承ください。 まず、ウイルス性肝炎自体が非常に「トリッキー」な疾患で、その対策が困難だったのです。 その「重篤性(じゅうとくせい)」が解明しにくかったのです。 ウイルス性肝炎には主にA型、B型、C型の三種がありますが、A型はほぼ重症化しません。だから、予防対策を議論する上で問題となるのは残りの二つです。 ところが、B型は感染直後に肝炎症状が出て治療の必要が生じるのに対し(そして感染しても≪おおむね≫治るのに対し)、C型はすぐには症状が現れず、潜伏して「爆弾」となります。そして数十年後に突如として発現し、急激に悪化して肝硬変・肝がんに進行します。(参考: 『肝炎』 日本医師会ホームページ) しかも、C型肝炎のウイルスが同定されたのは1989年です。これはA型(1972年)・B型(1970年)の二つが同定された20年近く後です。(『薬害肝炎 #問題化の経緯』 Wikipedia、薬害肝炎弁護団の年表) 想像してみてください。 A型肝炎、B型肝炎、そしてどうやら「それ以外の」肝炎があるらしい状況でした。 A型肝炎はすぐ治るし、B型肝炎も≪おおむね≫治る。 そして、「それ以外の」肝炎は、A型・B型より症状が軽い。 まさかそれが「数十年後に爆発するような爆弾」だと、思いますか? C型肝炎の「重篤性」は当時から認識できたでしょうか? 原告側は、それが予想できたと主張します。 国側は、それは予想できなかったと主張します。 簡単に結論が出せないことをご理解いただきたいと思います。 もちろん、国は「もっと早く」対策を行うべきでした。 しかし血液製剤が最初に承認されたのは1964年で、これはA型・B型肝炎が同定されるよりも前なのです。 「最初の一人の被害者から、全て一律に」責任を問うのは難しいと僕は考えます。 では、どの時点からC型の重篤性が認識でき、それを踏まえた肝炎対策が行えたのか? その点が、第三者委員会で検証されるべきです。 問題となった血液製剤は、効かなかったという主張があります。 血友病などに使うのはともかく、出産時の大量出血などには効果がなかったのではないか? という問題です。 血液製剤の「有効性」についての論点です。 効果がなかったのなら、それを承認した国の責任が問われます。 効果があっても、そのリスクの方が勝ったのであれば、やはり国の責任が問われます。 しかし、効果があって、それがリスクより勝ると「当時の判断で」見込まれたのであれば、国の責任を問うことはできません。 「リスク」については、上で述べました。「C型肝炎が危険だ」という重篤性の認識は、どの時点で確立されたのか? 慎重な検討が必要です。 そこで、有効性―効果があるかどうか?―の判断が問題になってくるのですが… これは、現在に至るまで、専門家の間で賛否両論あります。 アメリカでは、1977年には「効果が疑わしい」という結論のもと、その承認が取り消されました。(※それにしても、1977年までは「効果がある」とされていたということです) 一方で、ドイツなどでは使われ続けてきた実績もあるようです(『被害、長年置き去り』 朝日新聞 2008.01.16 ブログ『誰に投票する?』の転載による) 効果があるかどうか、専門家でも意見が分かれています。 そうである以上、「有効性のない薬剤を承認した」という非難はできません。 全ての期間では国の責任を問えないと考えます。 では、どの時点から「有効性を疑えた」のか? やはり、第三者委員会で検証されるべきです。 国は必要な安全対策を怠ったという主張があります。 血液製剤は人の血液から作られるものですが、それを安全な国内の献血からつくらず、非常に肝炎リスクの高い輸入売血から作ったという主張です。 またその製法も、数千人もの血液を集めた「プール血漿」から製剤を作り、その中の一人でも肝炎患者がいれば全ての製剤が汚染される危険なものだったといわれています。 さらに、このようにして作られた血液製剤は肝炎に感染するリスクが高いことを、国と製薬会社は十分に警告しなかったという主張がされています。 しかし、保存血液の全献血化が達成されたのは1974年です(薬害肝炎弁護団の年表による)。これは最初の血液製剤が承認された1964年の10年後です。 今日でも輸血用血液が不足しがちなのに、当時から「売血を使わない血液製剤」を求めることができたでしょうか? 「プール血漿」については、混入した肝炎ウイルスを不活化する処理が行われていることになっていました。(『7.フィブリノゲン製剤の安全対策はどうだったの?』 薬害肝炎訴訟 リレーブログ) それがきちんとした薬事審査により有効性が確かめられた処理だったかどうか、もちろん議論は必要です。しかし、当時はC型肝炎ウイルスが同定されていなかったことを考えれば、一概に全て断罪できるとは限りません。 この不活化処理は当時発見されていたB型肝炎ウイルスのためのものでした。その目的が達成されていたのなら、「正体の分からないもの」は駆除できないのですから、国の責任も製薬会社の責任も問えないのです。 警告義務については、肝炎のリスクと密接に関わってきます。 重大な疾患については警告義務が生じます。しかし、いったい肝炎はいつから「重大な疾患」と認識されたのでしょうか? 先に述べた『重篤性』の観点から、やはり慎重に検証されるべきです。 そして、この「重篤性」「有効性」「安全対策」は、相互に影響し合いながら国の判断を決めるものです。 フィブリノゲン製剤は、「いま生死の境にいる人を、助ける」薬でした。 「安全対策」がやや不十分でも、「重篤性」が認識されていなければ、国は製剤を承認したでしょう。 「重篤性」がそこそこ認識されていても、人の命を救えるほどの「有効性」が認められれば、やはり製剤は承認されるでしょう。 1977年に米国が同製剤の承認を取り消したのは、「有効性が疑わしい」「肝炎の安全対策が不十分だ」の二つの理由からでした。 しかし、日本ではその「有効性」について産婦人科領域からの信頼があり、また「安全対策」では米国は日本が行っているB型肝炎ウイルス不活化を行っていませんでした。 日本と単純に比較できる状況ではなかったのです。 国と製薬会社の癒着から、フィブリノゲン製剤が「再評価」(過去に承認された薬の有用性を改めて検討すること)の際に有利に取りはからわれたという指摘もあります(『なぜ薬害は起こったか(上)』 薬害肝炎訴訟リレーブログ)。 しかし、疑惑のある1970年代当時に仮に再評価が行われていたとして、その時点で承認を取り消す根拠が十分にそろっていたかどうかは慎重に検討されなければなりません。 このようなことを全て踏まえた上で、どこまでの被害を防ぐことができたのか、第三者委員会で検証されるべきです。 ※「薬事審査は絶対の安全を保証すべきだ」とお考えの方へ: 「絶対の安全」というのは、現実的には非常に難しいものです。どうか以下の例からご理解ください。 * * * 現在の日本の輸血は、エイズ感染の危険が皆無ではありません。感染直後のウイルス保持者を検知するには非常な困難がともない、そのような例まで検出するような検査制度を日本は取っていないからです(おそらくどこの国でもそうだと思います)。 一人分の献血に莫大な経費と手間をかければ、あるいは検査は可能かもしれません。しかし、それは医療費の高騰と引き替えになるでしょう。輸血を得られずに失われる命も出てくるでしょう。 あなたはそれを望みますか? 『献血でHIV判明100人超 日赤「検査目的やめて」』 朝日新聞 2008.01.23 (Web魚拓) このような議論を踏まえ、薬害肝炎訴訟の5地裁において「全期間で国の責任を認める」判決は一つも出ていません。 大阪地裁 : 集団感染発覚(1987年 筆者注)後 福岡地裁 : 1977年の米国承認取り消し後 東京地裁 : 1987年、警告義務違反 名古屋地裁: 1970年代後半以降 仙台地裁 : 国の責任を認めず 『仙台判決速報』 薬害肝炎訴訟全国弁護団ホームページより このことを踏まえれば、どんなにさかのぼっても「1974年以前の感染者に、数千万円規模の補償を行う責任は認められない」可能性が高いのだ思います。 まず「全期間での責任は問えない」ことを認識し、その上で「どこから被害が防げたのか」を第三者委員会で検証するべきです。
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弁護団の戦略の失敗のひとつは、「地裁判決を出してしまった」ことです。これは、今振り返ると、という部分が強いですが。 |
北村健太郎 2008/02/13 11:07 |
なるほど、それは考えたことがありませんでした。ご指摘ありがとうございます。 |
birds-eye 2008/02/14 00:14 |
はじめまして。失礼ながら、以下の記載が気になりまして、コメントさせて頂きます。 |
taka 2008/05/04 02:39 |
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