|
「避けられたものこそが≪薬害≫だ」 ◆ 薬害肝炎まとめ 目次 ◆ トップページ
(追記)
そもそも、「薬害」とは何でしょうか? それはなぜ問題で、どうすれば「解決」する事ができるのでしょうか? 先天性無フィブリノゲン血症に対する治療として血液製剤を投与され、それでC型肝炎に感染された方が、「薬害」認定のゆがみを訴えておられます。 『薬害を定義するのは誰か』 出血大サービス赤札日記 同じ血液製剤を投与されても、血友病患者は薬害ではないのか? 同じ血液製剤を投与されても、エイズ感染なら薬害なのか? 薬害か否かは、政治的な駆け引きや裁判の勝算で決まるのか? そのようなことが書かれています。 そもそも、「薬害」とは碁石の白黒を分けるほどきれいさっぱり分別できるものなのでしょうか? この人は薬害だ、この人は薬害ではない、その中間はない、とデジタルに分けられるものなのでしょうか? そこからまず考えなければならないと、僕は考えます。 僕たちが「薬害」という言葉を定義したいのは、憎むべき対象を明確にし、その撲滅のために力を尽くしたいからです。 そのためには「薬害」は全て悪でなければならず、そうでなければ「薬害」という概念は使えない概念になってしまうと思います。 「悪い薬害」と「仕方がない薬害」というふうに分類できてしまうようなら、前者だけを「薬害」と呼んだ方がいい。 そういうことです。 どうして僕がこんなことをあらかじめ断るかというと、「薬害」と「副作用」を混同したくないと考えるからです。 副作用は、いわば薬の望ましくない作用のことですが、薬を飲むときはそのリスクを甘受しなければなりません。 薬と毒は紙一重で、そしてまさに紙一重だからこそ薬の効果が期待できるからです。 あるいは、どうしても必要な薬効を得るために、その副作用を避けることができないからです。 それは撲滅できるようなものではなく、だから「薬害」とは分けて考えるべきだと思っています。 抗がん剤というものは、どこで読んだか思い出せないのですが、「体が耐えられるギリギリめいっぱいの量で、がんを叩く」ものだそうです。 抗がん剤は、多くの場合かなり強い副作用があるはずです。がん細胞ももとをただせば自分自身の細胞なのですから、そうそう都合良くがん化した細胞だけに効く薬はあるはずもないです。 正常な細胞さえ殺してしまう薬を、少しだけでもがん細胞に多めに効くよう工夫して、そのわずかな差分でがんだけを死滅させる。抗がん剤を投与するとは、そういう試みのことです。 当然、正常な細胞を殺してしまうリスクがつきまといます。がんは放置すれば死に至るのですから、そのリスクを背負うしかないのです。 だから、抗がん剤の「副作用」で死ぬのを、僕は「薬害」とは呼びたくありません。 今の日本の献血制度は、エイズウイルスの感染リスクを完全には無くせていません。 感染直後のウイルス保持者を検査で見つけるのは不可能(『HIVまめ知識 #17.ウインドウ期(ウインドウピリオド)・感染性ウインドウ期とは何ですか?』 HIV検査相談マップ)です。そして、感染直後のウイルス保持者が献血を行わないことを保証するためには、供血者の行動を数ヶ月にわたって管理する必要があるでしょう。 これは、現実的には不可能です。輸血にかかる経費の高騰を招き、それで救える命が失われることの方が多くなるでしょう。 輸血とは、そのリスクまで考慮した上で、命の危機が差し迫っている場合だけに行われています。 だから、現行制度のもとで輸血からエイズに感染するのは、「薬害」ではないはずです。 タミフルの異常行動で飛び降りて死ぬのは、「薬害」でしょうか? インフルエンザの罹患期間を一日だけ短縮するというのは、死ぬという代償を払うほどの効用ではないはずです。 しかし、タミフルの異常行動は「予見できた」のでしょうか? 臨床試験の段階で報告されていなかったのであれば、そしてその臨床試験の実施に問題がなかったのであれば、異常行動は「予見できなかった」はずです。 さらに、タミフルを服用しなくてもインフルエンザでは異常行動が生じます。現れた異常行動が、タミフルに由来するものであると、今ある知見で断定することができるのでしょうか? 医療には限界があり、科学には必ず未知の領域があります。いまタミフルは「異常行動の危険」と「出現が予想される強毒性インフルエンザへの切り札」という功罪両面から判断を待たれています。いまいずれかを選び、将来それが間違っていたと分かっても、絶対の判断など神ならぬ人間にはできないのです。 だから僕は、タミフルは「薬害」ではないと考えています。 そして、このようなことを考慮に入れても、薬害肝炎問題は「薬害」と呼べるはずです。 「薬害とは何か?」という問いに、僕はこう考えます。 「薬が生じた有害な事象のうち、最善を尽くせば防げたものが、薬害だ」 「防げたはずのものを起こしてしまったことが問題だ」 「解決のためには、≪再発防止のための深い反省≫と、被害の≪防げた部分に対する補償≫と≪全てへの支援≫が必要だ」 この考えを、これから記事を書く拠り所としたいと思います。 血液製剤に由来するウイルス性肝炎は、その全てを防ぐことはできなかったかもしれません。しかし、適切な時期に国が対応していれば、いまほど被害が拡大することはなく、また感染者も症状が悪化する前に治療が受けられたはずです。 その意味で、全てのウイルス性肝炎患者の方々は、程度の差こそあれ、「薬害」としての部分を持っていると考えます。 このような考え方をもとに、 「では、どこまでの被害が薬害なのか?」 「その再発を防ぐためには、どうすればよいのか?」 を、自分なりに考えていきたいと思います。
|
| << 前記事(2008/01/25) | トップへ | 後記事(2008/01/26)>> |
| タイトル (本文) | ブログ名/日時 |
|---|
| 内 容 | ニックネーム/日時 |
|---|---|
birds-eye さま |
北村健太郎 URL 2008/02/09 15:20 |
birds-eye さま |
北村健太郎 2008/02/09 15:27 |
北村さま |
birds-eye 2008/02/09 15:39 |
あ、申し訳ありません。続きがあるとは知らず、はじめのコメントにお返事書いてしまいました。 |
birds-eye 2008/02/09 15:42 |
>「薬害」と「副作用」を明確に弁別できるか? |
birds-eye 2008/02/10 11:47 |
>「薬害」と「副作用」を弁別する手順 |
birds-eye 2008/02/10 11:51 |
問題設定、議論の範囲は、以降のエントリに関わりますので、充分に御検討いただきたいと思います。 |
北村健太郎 2008/02/11 19:48 |
なぜなら、「薬害」と判明しているわけですから、どうしても「後見的」部分が入ることは否めないと思うのです。birds-eye さんが |
北村健太郎 2008/02/11 19:53 |
> 問題設定、議論の範囲は… |
birds-eye 2008/02/12 18:56 |
> 「薬害」は事後的な告発概念 |
birds-eye 2008/02/12 19:09 |
僕はこの肝炎問題を、「結果が出た後の視点から、防げなかったものまで安易に責める弊害」という問題意識でまとめました。医療過誤訴訟などにも見られる、この分野の普遍的な問題だと考えています。 |
birds-eye 2008/02/12 19:20 |
真摯な回答に感銘を受け、情報の追加です。 |
北村健太郎 2008/02/13 10:20 |
北村さま、たびたびのご回答、本当にありがとうございますm(_ _)m |
birds-eye 2008/02/13 22:03 |
| << 前記事(2008/01/25) | トップへ | 後記事(2008/01/26)>> |