白鳥一声

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zoom RSS 科学に責任を持つ市民のブログ

<<   作成日時 : 2008/01/23 00:48   >>

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科学とは猛獣であり、
僕たちはそれを御さなければならないということ。
そのためにはしなければならないことがあり、
でもそれは誰にでもできることだということ。
このエントリーは、記事集≪白鳥一声≫のために書かれました。 ここに書かれた内容は、僕birds-eyeが最も大切に思う考え方を表しています。

 最近思うところがあって、こんなバナーを作ってみました。
 もしもイイナと思われた方がおられましたら、ぜひご自由にお持ち帰りいただき、お好きなところに貼ってやっていただければ幸いです。一言コメントを残していっていただければ、なおうれしいです。
 ※このバナーに関連して当ブログにリンクして下さる方は、トップページでなくこのエントリーでもなく、以下のエントリーにお願いいたします。
  『科学に参画する市民のための「玉入れ」理論』
http://8910-1000.at.webry.info/200801/article_25.html


(フルバナー 2パターン)




(ハーフサイズ 2パターン)




(極小版)



 「責任」という言葉を、どうか重く受け止めないで下さい。
 これは「みんなでやれることをやっていこう!」という呼びかけです。

 まあ、聞いて下さい。
 (※具体的な方法論については、こちらをごらん下さい)

◆ ◆ ◆

 マンハッタン計画
 当時最先端の理論物理学を総動員したこの計画の成功は、科学という怪物が、その生みの親である人間を食い殺せるようになった瞬間でした。

(画像はWikipediaより転載)


 科学とは、僕たちが人間の幸福を実現するために手に入れた、道具です。
 しかし、複雑怪奇なまでに発展した現代科学は僕たち市民には手の届かない物になってしまいました。
 その結果、僕たち市民は、この科学を『専門家』と呼ばれる人たちに任せきりにすることをおぼえて都合の良い果実だけを望むようになってしまいました。

 いま科学は暴走しつつあります。
 ≪暴走≫ ――つまり、僕たちの幸福のために跪くべき科学が、僕たちを苦しめるということです。


 温暖化。
 熱機関は莫大な運動エネルギーと引き替えに、僕たちの暮らす土地を水没させ、砂漠化させます。
 でもその効能と代償を公平な秤にかけられる人は少ないです。
 水没の危機に瀕する国があるかたわら、責任をなすりつけ合う国があります。

 環境保護。
 一つの生き物が滅べば、それはドミノ倒しのように次々と他の生き物を滅ぼし、やがては人間さえも滅ぶでしょう。僕たちは、100年後にも同じ在り方であれるような、今の在り方を模索する必要があります
 でも、その問題を正面から見据えている人は多くありません。
 乱獲された魚を食べる人が、ムツゴロウをカワイソウだと言います。ディンゴを殺す人がクジラをカワイソウだと言います

 医療・医薬品問題。
 叶うかぎりに良い生を生きるなら、医療の限界を正しくわきまえ、そのかぎりで最大限を自分のために活用すべきです。
 でも、人は感情に流されて冷静な視点を見失います。
 運命を前に激情に駆られ、分からないことからは目をそらし、演出された悪役を求めて医療者を責めます。それが無理難題ならば、必ず自分自身に返ってきます。

 原子力。
 爆発すれば一つの国が滅びます。意図したとしても、しなかったとしても。
 でも、その害を言いつのるばかりで、解決策に取り組む人は稀です。
 太陽光・風力・地熱発電が原子力発電の代わりを担える見込みは立っていません。日本の国土でこれ以上の水力発電を求める余地はありません。代償に何を差し出すか、市民が選ばなければならない問題です。


 科学の暴走は、市民の責任だと思います。
 科学は、僕たち自身が手綱を付けて、足下に従えるべき物です。
 それは専門家のもとではなく、僕たちの手にあるべき物です。

 そのために。
 僕たちは、「分からないことから目をそらす」のではなく、「分からないなりに考え、学ぶ」姿勢が求められているのだと考えます。
 分かりやすい結論に飛びついてはいけません。冷静に、自分の直感を疑い、専門家の意見に耳を傾けるべきです。
 結論を急いではなりません。科学は現在進行中で、専門家の間でも議論があることがあります。両方の立場を知るよう努め、その中で自分の考えを持つべきです。
 でも、全てを理解しようとしてはいけません。専門家ではないのだから、分からないのです。分からないことを認め、その中で最善を尽くすことが求められます。

 そんなことを、のんびり、でもたゆまず続けていくことが、「市民が科学に責任を持つ」ことだと思います。
 この姿勢を持ち続ければ、少しずつ良い社会が実現すると、僕は思います。人が科学に振り回されず、人間らしく生きられる社会になると信じています。

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コメント(20件)

内 容 ニックネーム/日時
科学を学問で分類すると純粋な理学(物理、化学など)と工学(いわゆるxx工業)、経済学(数値統計主義)、医学などなどとなります。純粋な理学のみを科学と捉えると科学は猛獣ではないと思います。科学は道具ではありません。真実を明らかにするだけです。科学の応用分野が道具として科学を使用し、問題だと思います。応用については市民にも責任があると思います。
一般人
2008/01/23 09:54
 一般人さん、コメントありがとうございます。鋭いご指摘、頭が活性化する思いです。

 「科学は猛獣か?」という命題について。
 確かに、純粋な理学だけ見れば危険はないのかもしれません。ただ、理学が後先考えず新知見を次々と生み出していくことの、全体としての危うさが指摘されています(それが原爆開発だったり、クローン技術だったりしたわけです)。
 なので、ここでは「広義の科学」について猛獣だと書かせていただきました。

 「科学は道具か?」という命題について。
 僕は、やはり道具だと思います。
 例えば<金槌>は、「釘を叩くもの」ですが、道具ですよね? 金槌の目的が「釘を叩く」こと自体では無いのと同じように、科学の目的も「真実を明らかにする」こと自体ではないと思います(少なくとも、科学研究に税金を投入するという社会的視点に立ったら)。

 「科学」とその「応用」は分けて考えることができない物なので、市民は「科学」そのものに責任があるのだと思います。
birds-eye
2008/01/23 20:07
コメントにたくさん答えていただいてありがとうございます。
科学は道具ではありません。
金槌は釘を叩く道具ではありません。
釘を打つときに使うことができる道具です。人の頭を割ることもできます。これは金槌が科学ではないからです。科学とは水が酸素と水素で構成されていること。他にも原子運動そのもの。原爆は金槌と同じで科学ではありません。X線もその存在は科学です。X線を発生させようとした時から科学ではなくて、工学の世界です。
「科学」と「広義の科学」は違います。「広義の科学」とは「科学的な思考に基づく」という意味ではないかと。この思考部分が危険な発想だと、原爆が作られるかと。
一般人
2008/01/25 08:21
 一般人さん、コメントありがとうございます。
 だんだん話がややこしくなってきたように思うので、ちょっと整理したいと思います(^^;)。

 まず、僕が言ったのは「(社会にとって)科学は道具だ」という意味です。
 一般人さんがおっしゃったのは、「科学(の定義)は真理を明かす探求のことだ」ということだと思います。その上で、その応用に注意すべきだというご指摘だと理解しています。
 本筋では違わないのかなと思っています。

 その上で、一般人さんと僕との相違点は、たぶん二点あって
@「応用」は「科学」の範囲にはいるか? という言葉の使い方の問題
A純粋な科学(真理の探究としての、もっとも厳密な意味での科学)にまで市民は責任を持つべきかどうか?
 の二点だと思います。

 ここまでのところ、よろしいでしょうか?
 この理解が合っているものとして、続きを書かせていただきます。
birds-eye
2008/01/25 23:00
(続き)
 @については、「科学」という言葉の使い方の問題になると思いますが… 僕は先にも書いたとおり、「科学」と「応用」は不可分なので、含めて良いと思っています。
 近代科学の礎を作ったフランシス・ベーコンの言葉に、「知は力なり」という言葉がありますよね? これは、自然法則の真理を明らかにすれば、自然を意のままに操ることができるという考え方です。
 このような出発点を持つ「科学」は、あくまで「応用」を目的に据えて、それを実現するために「厳密な意味での科学」的態度を手段に選んだのだと理解しています。だとすると、この二つは不可分なのではないでしょうか? (あるいは、「厳密な意味での科学」の部分だけ抜き出して議論することに、あまり意味は無いのではないでしょうか?)
birds-eye
2008/01/25 23:12
(続き)
 Aについて、僕はこちらのほうが重要だと思っています。
 僕は、「市民は純粋な科学にも責任を持つべき」と考えています。科学には「パンドラの箱」のような側面があり、一度真理が明らかになるとその応用がコントロールできない場合があると考えるからです。

 クローン技術が良い例になると思いますが、「人間のクローンを作る××の理論は正しいかどうか?」という研究は一般人さんのおっしゃるところの「科学」に含まれますよね? これは自然法則に由来する命題で、実際に人間のクローンを作ってしまうというのとは別の問題だからです。(まずこの点、合ってますか?)
 仮に、それが正しいと確かめられたとします。(※議論が脇にそれるので、研究の過程で生命倫理の逸脱は行われなかったものとします。つまり、非現実的な仮定ではありますが、未受精卵などを使わずコンピュータシミュレーションで絶対正しいと証明できたとします)
birds-eye
2008/01/25 23:27
(続き)

 この真理の発見は、「クローン人間作りを許すかどうか?」という社会的合意(コンセンサス)(もっと具体的にいうと「規制法」ですが)が形成される前に、そんな事はお構いなしに達成されてしまうでしょう。すると、まだ扱いが決まっていないのに、なし崩し的にクローン人間が作られてしまいます。
 だから市民は、「社会的合意ができるまでクローン人間についての『科学』的研究を禁止」という決定をしなければなりません。これが、「厳密な科学に市民が責任を持つべきだ」と僕が考える理由です。
birds-eye
2008/01/25 23:27
 あ、誤解を招きそうなので補足します。
 最後のコメント、
>クローン人間が作られてしまう
は、「社会的に取り締まる制度が整う前に、作る人が出てきてしまう」という意味です。
birds-eye
2008/01/25 23:31
クローンを作ることは、科学ではないと思います。
あくまで「DNAが存在することと、その中に遺伝情報が入っている」と言う事実は科学だと思います。税金を研究に投じている部分については、科学ではなく科学技術(応用)だと思っています。
科学の定義はbirds-eyeさんと同じと思います。
解りやすい例としては、地球が太陽の周りを回っていることを説明するのは科学ですが、人工衛星が地球を回るのは科学技術だと思います。
科学技術(応用)については、私も市民(国民)が責任をもつ必要はあると考えています。
言葉の遊びみたいになりましたが、人間が目に見える範囲、手で行える範囲は科学技術も許容範囲と思っています。クローンは問題ですが、米の品種改良のように異なる品種の米のメシベとオシベの交配はあっても良いかと。虫が行うか、人間が行うかの違いと考えられます。
一般人
2008/02/02 16:08
>クローンを作る××の理論は正しいか?
>クローンを作ることは、科学ではない
 これは、僕の書き方が分かりづらかったかなと思うのですが。
 クローンを作る理論の大半は、純粋な科学に属する話だと思うのです。
・DNAが存在する
・DNAの中に遺伝情報が入っている
・DNAは××という条件下ではその性質を維持する
・体細胞は△△という自己増殖機構を持っている
・体細胞の自己増殖機構は、○○という環境下におかれるとその機能が増進する
etc...

 ただ、これらの「純粋に科学的な」命題が明らかになってしまうと、その組み合わせでクローンなどあっという間に実現できてしまいます。
 たしかに、「明らかになった知識を組み合わせてクローンを作る」のは応用部分です。でも公表されてしまった知識は、よほどあらかじめ準備しておかないと、その利用をコントロールするすべはないのです。
 それでも、市民が制限を加えるべきは応用部分だけで、基礎科学の領域にはノータッチでいいのでしょうか? というのが僕の問題意識です。

 一般人さんはこの点をどう思われますか?
birds-eye
2008/02/03 19:12
以降は科学技術だと思います。理論ではありません。
・DNAは××という条件下ではその性質を維持する
・体細胞は△△という自己増殖機構を持っている
・体細胞の自己増殖機構は、○○という環境下におかれるとその機能が増進する
etc...
一般人
2008/02/03 22:25
 う〜ん、なかなか言葉のすりあわせが大変ですね(^^;)

 まず、僕は「理論を構成するための科学」として例を挙げました。これらそのものが「理論」だと思っているわけではありません。

その上で、例えば
・水は0度〜100度(1気圧)の条件下ではその(液体としての)性質を維持する
・人間は胃という消化機構を持っている
・人間の胃は、空腹という環境下に置かれるとその機能が増進する
これは、科学でしょうか? それとも科学「技術」でしょうか?

 「DNAは××」以下の例は、この名詞を置き換えただけのものです。
birds-eye
2008/02/04 21:45
水、人間と特定した時点で科学ではないと思いますよ。
ご指摘の3項目を科学だけを取り出すと、
・物質は固体、液体、気体で存在する。
・生物には消化器官が存在する場合がある。
・生物は生存するために必要なエネルギーを外部から摂取する必要がある場合にそのための活動を行う機構をもつ。
と表現されると思いますが。
特異点あるいは特異解を求めるのが技術です。
例えば、流体力学は純粋に理論ですが、実際のパイプを水や油が流れるときのパイプにかかる圧力などは、パイプの材質、水や油の性質など特異的な解を求めることになります。
核問題も、原子核がエネルギーを持つことは理論ですが、そこからエネルギーを取り出すことは技術です。それが発電目的か、爆弾目的かを監視する責任は市民(国民)がもつ必要があります。決して原子核がエネルギーを持つことに市民が責任をもつことはできません。その理論が正しいかどうかは科学として議論される必要はありますが。
一般人
2008/02/05 13:16
(続きです)
また、3項目には誤りが。
・1気圧では、水の氷点は0℃、水の沸点は100℃である。(また、水は0℃では液体でも固体でもない。100℃では液体でも気体でもない。ちょっと表現が乱暴ですが、1気圧の環境下で測定を行った場合、氷点においては、水の一部は0℃よりも低く、一部は0℃よりも高い状態で極めて不安定です。また、同様に100℃でも同じです。沸騰している状態を考えるとわかりやすいです。局部的に1気圧でないことは明らかです。)
・人間には消化器官があり、一部の消化器官を胃と呼ぶ。
・人間の胃は、脳によってコントロールされており脳が空腹だと判断すると胃の活動が活発になる。
が、技術的な表現かと思います。
一般人
2008/02/05 13:17
 ご指摘のこと、確かに記述が不正確でしたね。ありがとうございます。

 一般人さんのコメントで、二点ほど伺ってみたいことがあります。

一つめは、
>水、人間と特定した時点で科学ではない
 これは、どこまでが「普遍的」で、どこからが「特定」になるとお考えでしょうか? その線引きは明確にできるものでしょうか?
 例えば「生物」だって物質間の相互作用から成り立っているのですから、あまたの現象の中から「生物」だけ切り取るのも「特定」なのかもしれません。
 しかしそれを言い出すと、「科学」の領域には何も残らないか、せいぜい素粒子レベルの物理学しか残らないのではないでしょうか?
 いかがでしょう?
birds-eye
2008/02/05 23:58
二つめは、
>特異点あるいは特異解を求めるのが技術
 これについては、原則僕も同じ考えです。(どこからを『特異解』と呼ぶかには意見の相違があるようですが)
 ただ、僕の問題提起は、「技術」の領域だけではコントロールしきれない場合、「科学」の領域への統制も考えなければならないのではないか、という事です。

 ある技術的目的を達成するため、その関連する科学的知見が明らかになったら、目的の99%は達成されてしまう、というケースがあると思うのです。科学を活用する技術よりも、科学的知識そのものがボトルネックになるような場合です。

 そのようなケースをどうお考えか、伺ってみたいなと思います。
birds-eye
2008/02/06 00:05
科学的知識がボトルネックになるのは、もっともです。
中国餃子問題にしても科学的な思考に欠ける人たちが引き起こしています。ただ、科学を知らず科学的技術を開発する人達が一番問題かと。また、法律を作る人たちには科学も科学技術の知識もありません。そういった意味合いでは、科学を猛獣とて捉えるよりも、科学知識も思考回路も持ち合わせない人が国を動かす危険性を市民が監督する必要はあると思いますよ。
一般人
2008/02/06 08:23
>科学知識も思考回路も持ち合わせない人が国を動かす危険性
 これは、科学技術政策の問題ですね。ご指摘の通り、難しい問題の多い分野です。

 このあたりのこと、改めて記事にさせていただきたいと思います。またよろしくお願いしますね。
birds-eye
2008/02/07 23:16
あまり深刻に捉えない方が良いと思いますよ。
まずは、医者を目指されているのですから知識も良識も持ち合わせたお医者さんに向けて勉強されるのが良いかと。今回の記事を解決するには、自分が政治家になるしか方法がありません。なぜ政治家にならなかったか今では後悔しています。落選かもしれませんが(笑)。一日一日を大切にしてくださいね。その積み重ねです。
一般人
2008/02/08 08:08
 ありがとうございます(^^)
>なぜ政治家にならなかったか今では後悔
 あぁー、それは僕も思うことがありますね(笑) ままならないものです。
birds-eye
2008/02/08 23:38

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