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論破することはできます。 耳をふさぎ声だけ張り上げることもできます。 同じ羽根の仲間で群れることは心地よいでしょうし、 クチバシをそろえて違う羽色の迷い鳥を罵ることも あるいは心躍るものかもしれません。 ――それでも、もしも高みを目指すなら、 自分と異なる考えに僕たちはどう向き合えばよいのでしょう? この青い世界を、白い翼で独りただよう、 その目指すべき場所は何処なのでしょう? ひいきにしているブログが、議論が白熱して次第に荒んできて、心ない言葉の応酬になるのを見るのは哀しいです。 ネット上で繰り返される不毛な議論について、犯されがちな間違いの一つ一つに名前を付けて、その解決策を与えてくれるこんなサイトを見つけました、 『議論パターン』 翔ソフトウェア 一つの機会に、自分が「なぜ、わざわざネット上で意見を主張し、他人と議論するのか?」考えてみました。 僕が自分の意見を表明するのは、それが世間に通用するかどうか試されたいからです。 共感してくれる人がいれば、もちろんとてもうれしいです。でも、肝心なのは批判してくれる人を探すことです。自分の考えが他人の批判に磨かれるこによって、僕自身の人生がより豊かになると思うからです。 豊かな人生とは、智恵を磨く事だと思います。言いかえるなら、深い洞察と広い視野を持つことだと思います。 この世界で生きていく上で、僕たちが悩む問題はたくさんあります。愛や友情、不公平や不条理、要するに自分の幸せと他人の幸せの折り合いをつける方法だと思います。そしてこれらは、唯一完全の答えが得られるような問題ではなく、百人が全て違う答えを見いだすような問題です。 それらについて、自分以外の九十九人の見つけ出した答えにどのくらい近づけるかどうかが、僕にとっての『人生の豊かさ』です。 だから、僕がネット上で人と議論するに当たって、いまここで一つの目標を掲げたいと思います。 僕は、他人の意見が自分と異なることについて、可能な限り「価値観の違い」という理由付けを後回しにしたいと思います。 僕は、議論を通じて、相手と自分の認識の相違点を明らかにしていきたいと思います。それが、僕が人と議論するときの目的です。 ある問題について、二人の意見が異なるとき、そのほとんどの場合は二人の認識の違いが原因ではないかと思います。それは例えば
もちろん、価値観の違いが原因のこともあるでしょう。でも、初めから「あいつは俺とは違うから」という態度では、議論を通じて何も得られないと考えます。 だから、僕は議論を通じて、この『認識の違い』を洗い出していきたいと考えます。「ああなるほど、こういう事を考慮に入れると、確かに彼の言うような考え方ができるな」と思えるような何かを見つけたいと思います。 それを、僕がネット上で他人と議論する理由にしたいと思います。 |
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