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例えば“DNAの二重らせん構造”ワトソン・クリックのような 偉大な研究者を一人でもより多く輩出するため、 どのような教育のあり方が望ましいでしょうか? 東大が、大学院の博士課程院生を経済的に支援する思い切った制度を導入するようです。 東大の博士院生の大半、授業料ゼロに 「頭脳」獲得狙い 博士課程の院生のために経済支援が拡充されることを僕は歓迎します。これらの学生は各分野の先端を担う人材ですが、20代後半になっても経済的には不安定で、博士課程に進学するには相当の覚悟が要求される状況です。現状では、ふさわしい能力のある人が心おきなく進学できる状況だとは言えないと僕は考えています。 ただ、この記事には補足すべき事があるように思います。朝日新聞の報じた「海外大学の生活費援助」の裏には、学生が業績により明白な差別待遇を受ける厳然とした評価システムがあります。 米欧,とくにアメリカの大学院では,クラス(同じ学年の大学院生の集合)で上位2分の1あるいは3分の1に入らない学生は,徹底的に差別されます。まず,生活費の補助はおろか,授業料も免除されない。指導教官に誰もなりたがらないし,いやいや指導教官になった教授は,ほとんど時間を使ってくれません(メールを送っても返事はくれない,やっと面会のアポイントメントを取っても待たされるかドタキャン)。あなたが払う3万ドルの授業料は,クラス上位3人の奨学金に化けます。あなたが何とか独力で論文を書いて job market に出ても,指導教官はあなたが何をやっているか知りませんから情報量がゼロの推薦状しか書かないし,placement officer (その大学院から job market に出る学生全体の就職の世話を担当する教授)は,あなたを「イチおし」どころか「おすすめ」のグループにも入れてくれません。(このような悲劇が起こる理由は,大学院の名声は,後に superstar となるような人材を何人卒業させたかだけに依存するからです。)欧米の大学院が送り出してきた優秀な人材が、このような「選択と集中」によって育てられたものならば、日本はそのような点も見習うべきなのでしょうか? 業績に応じて待遇に差が生じるのは、当然であり、大学のような高等教育においてはあるべき姿であるようにも思えます。(その点、義務教育とは異なることに留意してください。義務教育は、より手厚く「機会の平等」を重視すべきで、従ってこれほどあからさまな差別待遇は馴染まないと思います。) とりあえず、前出の朝日記事中で「東大に一極集中」を憂慮した国立大学は、このような思い切った「選択と集中」を検討してみるべきだと思います。 地方の大学院は傑出した業績を上げないと、たとえ月並みな博士号をいくつ送り出してもじり貧だと思います。 「差がつくから、やるな」という態度は何も生み出さないので、僕は記事を読んで疑問を感じました。 |
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